モニュメントバレー(Monument Valley)

モニュメントバレー豆知識(Monument Valley情報)

 モニュメントバレーとは?

モニュメントバレー(Monument Valley)透き通る青い空と赤茶けた広漠たる荒野のコントラスト。
「アメリカの原風景」とも言われるモニュメントバレーは、高さが1,000フィート(300m)にもおよぶ赤色の砂石で創られた自然の驚異的な地層で有名です。
風と雨、そして温度が持つ自然の偉大な力が、過去5000万年もの年月をかけて高地の表面を切り取り、削ぎ落してきました。硬質や軟質の岩石の層がただ剥ぎ落とされてゆく過程が今日のモニュメントバレーの自然の不思議をゆっくりと作り出してきたのです。

モニュメントバレーは、ナバホ・インディアンの居留地にあって正式にはモニュメントバレー・ナバホ・トライバル・パーク(Monument Valley Navajo Tribal Park)と言います。 アリゾナ州北部を中心に、日本の東北6県ほどの面積をもち、約25万人の住民がいます。

モニュメントバレーの位置 (ユタ州南部からアリゾナ州北部にかけた広いエリア)

約30万の総人口を擁するナバホ族は、アメリカ・インディアンの中でも最大の部族です。
ナバホ族の人達はこの居留地をNavajo Nation(ナバホ・ネーション)と呼んでいます。
それは、合衆国公認の“国”であり、ナバホ独自の大統領を持ち、独自の法律、国旗、国章、学校、大学、警察に準ずる組織 をも有する”半独立国”です。 
よって、このモニュメントバレーの地は、アメリカ合衆国の国立公園ではありません。 
ナバホ・ネーションの首都ウィンドウ・ロック(Window Rock)では評議会が開催され、自治区内にある
ナバホ国立の大学も経営しています。
また、この”国”では禁酒法が定められており、居留地内では一切の飲酒とアルコールの類の販売が
禁じられています。 たとえ観光客相手の店やロッジであっても一滴も飲むことは出来ません。

連邦政府は何度もこの地を国立公園に指定したい意向を申し入れたのですが、ナバホ政府は
モニュメントバレーを厳しい規制がある国立公園にしてしまうことを良しとしませんでした。
なぜならモニュメントバレーはナバホ族にとっては神聖な地であり、なおかつそこで暮らす人達が
いるからです。 ナバホの多くは近代的な生活をしていますが、モニュメントバレーには電気も水道も
ない伝統的な生活を今でも続ける人々がいるのです。
旅行者はそのことを充分理解して、この神聖な地を訪問することが大切です。

ナバホ族は紀元前2000年頃からこの地に住んでいました。 1921年にハリー・グールディング
(Harry Goulding)と彼の妻がこの地にやって来て、ナバホ族より僅かのお金で土地を分け与えて
もらい、彼らとの交易を始めて暮らしを立てていきました。 1928年には、交易で貯めたお金で
グールディングス・ロッジと空港(Trading Post)を作り、ナバホ族の人達との交流関係を促進する
努力をしてきました。 そして、彼らはこの地を映画のロケ地として招致し、モニュメントバレーを
世界的に有名にしたことでも知られています。 1938年に初めてジョン・フォード監督によって
映画のロケに使われました。有名な「駅馬車」に始まり「黄色いリボン」「荒野の決闘」「アパッチ砦」に
代表される名画の数々がこの地で出来上がりました。

ジョンフォード・ポイント撮影のため長期間ここに滞留していることもあった為、グールディング夫妻の好意でロッジの敷地内に小屋を建ててもらい、監督は撮影の期間そこで暮らしをしていました。 その小屋は今も現存しております。 
近年の映画では「バック・トゥ・ザ・フューチャー3」、「フォレストガンプ」などでこの地が使われました。 日本でもTVコマーシャル等の撮影で使われることが多く、誰でも一度は目にしたことがあるほど有名な景色となりました。

モニュメントバレーは世界中から観光客が訪れる人気の観光地ですが、交通機関が 整っていないため、多くの観光客はバスやで訪れます。でも、ラスベガスから約600kmも離れているモニュメントバレーも、シーニック航空の飛行機ならあっという間に、しかも日帰りでグランドキャニオンと一緒に周ることが可能です。

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